留学先を選ぶ条件
私が大学を卒業した1994年は、学生の半数近くが留学している時代でした。行き先は東西ヨーロッパ、ロシア、アメリカと、クラシック音楽が学べる学校へ一斉に散らばっていった感じです。その後あっという間に帰国する人もいれば、合わないと国を変えたり、オーケストラに就職してメキシコやポルトガルなどに引っ越す人もいました。
私は高校の頃からいずれは留学すると思い、ドイツ語、フランス語、英語を学校で勉強しました。ロシアのピアニストも大好きでしたが、体格が余りに違いすぎて技術を学ぶのは難しいだろうと思いましたし、国自体に魅力を感じていませんでした。それに実家を出たこともなく外国も知らず、性格が怖がりなので、兄のいるロンドンか叔父のいるパリにしようと思い、学費が安く、生活も楽しそうなパリにしました。これは大正解でした。

パリの端にある高等音楽院。
フィルハーモニーホールや音楽博物館が側にあります。
フランスは空気が乾燥していて楽器の鳴りが違う、光が眩しくて色が違う。それは日本ではわからないことでした。それが心地よくて居ついてしまったように思います。
そして、何よりパリにはたくさんの良い先生がいて、よりどりみどりです。私は最初に地方音楽院で、当時は有名でなく、しかし密かに人気上昇中のHortense Cartier-Bresson(現在パリ音楽院教授)に就きました。
同時に伴奏科にも入り、もの凄い数の歌曲、オペラ、オーケストラ譜、弦楽四重奏曲などを読みました。教えてくれたMarie-Paule Siruguet 先生(現在退職)は頭に図書館が入っているような人で、また生徒を自身の子供のように、クラスを大家族のように率いている人でした。現代曲にも強く、実践訓練も多く、楽しかったです。
加えて、バロック音楽が盛んなフランスでクラヴサン(チェンバロ)を勉強する気になり、クープラン専門家のOlivier Baumon先生(現在パリ音楽院教授)に就きました。私が育った東京の実家の近くに聖グレゴリオ宗教音楽研究所があり、小さい頃にパイプオルガンやグレゴリオ聖歌に触れていたので、古い音楽には親しんでいましたが、16〜18世紀の知らない作品を学び、フランスバロック音楽家の世界観に触れ、大きな発見をしました。彼らはクラシック音楽の学生とは違う人々でした。
兄は有名演奏家を訪ねて、彼らのコンサート前の控え室でレッスンを受けさせてもらうような行動派でしたから、私も当然レッスンとは追いかけて受けるものだと理解していました。ですからどこの学校にも属していない現役演奏家のマスタークラスを見つけては参加してみたり、勉強したい曲の専門家を見つけると、伝手を探して紹介してもらいました。伴奏者として他の楽器のレッスンや、協奏曲の準備で指揮者との打ち合わせに同行することも勉強になりました。大物のレッスンは時に「その左手、ちゃんと弾いてね」だけで終わることもあるし、内緒の練習法や珍しい指使い、書き込みのある楽譜を見せて貰うこともあります。先生の先生の先生がラフマニノフやリストだったりで、急に作曲家と自分の距離が縮まった気になります。それだけでは上手くなりませんが。

エディンバラまで、作曲家ジャン=カルロ・メノッティに会いに行き、兄とお稽古を付けてもらったこともありました。彼の小オペラ「電話」はその後、何度も演奏しました。
私は高校と大学の長い期間、中島和彦先生に就きましたが、レッスンでよく「それじゃあ水準に達してないんだよ」と言われました。具体的な指示は余り無く、だから自分でどこをどうしたらいいのかを考えました。課題はどんどんくれて、話も多く、それは生徒の個性も伸ばしつつ、良い方向に導いてくれる、年齢に適した教授法だったと感謝しています。
フランスの魅力には言わずもがな、美術館、美食、地方色の豊かさなどが加わりますが、どの留学先にもその国にしかない特色があるので、自分がピンとくる国を選びましょう。オンラインレッスンや来日して聴ける演奏会があっても、生活してみて得られる事は計り知れません。そして空気や光など、どうしても日本には持ってこられないものの中に自分から飛び込んでゆく、新しい土地でゼロから始める新鮮さは、若い時にはお勧めです。価値観を広げ、自分のパレットに色を増やしましょう!