フルトヴェングラー演奏の
分析のすすめ

写真:イエス・キリスト教会にてレコーディング
フルトヴェングラーが一体どのように指示した結果、あのような弩迫力のクレッシェンドになったのでしょうか?レコーディングの際に試し録りして奇跡的にそのまま残されたリハーサル風景の録音に、ティーイーーっと歌ってクレッシェンドをこのように演奏してほしいと希望する場面があります。その魂をえぐられる迫真力が、楽員の心に訴えかけたのかもしれません。
もう少し具体的に観察できる例としまして、シューベルト作曲交響曲第9番ハ長調を聴いてみましょう。第2楽章156小節からのホルンのプレーンなクレッシェンド、私はここだけ何千回繰り返し聴いたか、見当もつきません。演奏しているのはフルトヴェングラー・ホルンとして名高いマルティン・ツィラー(Martin Ziller)、ブラームスのソロを吹かせたら誰もが涙を流した、と言い伝えられています。ヴィブラートをかけて大変美しく演奏。この部分も、直前にフルトヴェングラーが上手にテンポを落としていった黄昏の空を経て、夜の森で哲学者と対話をする大変な聴きどころです。
Gの途中から2小節半、もう1本ホルンがそおっと加わってきて増強しているようであります。それを考慮しても、これほどまでにピアニッシシモからフォルテまで音量の差が巨大な楽器単体のクレッシェンド演奏は、そうなかなかお目にかかれないのではないでしょうか。
始めの音色をクレッシェンドしていくと、その中からいつの間にか違う音色のつぼみが新たに現れ、それもクレッシェンドしていくと、またその中からいつの間にか次の音色のつぼみが現れ、ということが連続的に繰り返されているように聞こえます。音量に続き少し遅れて音色も上手に変化させた、非常に秀逸なクレッシェンドでありましょう。私がオーボエを演奏する際にも、この技術をいただき使っています。

写真:バッハ最初の赴任地である
ミュールハウゼンのディヴィ・ブラジー・教会
さて、フルトヴェングラーの演奏技術について4話にわたり述べてまいりました。フルトヴェングラーの演奏はあまりにも魅力的で、それを聴いた幸福感に包まれ思わず痺れてしまいます。レジェンドの演奏を聴いた際によくあることですけど、痺れるほどに感動したのだから自分のものになったはずだと思い込みがちなのは、音楽家にとってかなり危険な袋小路といえましょう。その技術を科学的に分析しなかったら、レジェンドに邂逅した貴重な記憶が人生の糧として残ることはあろうとも、自分の演奏には期待したほど実になりません。
フルトヴェングラーの演奏には、今日でも演奏に役立つ特級の技術が満ち溢れています。よろしければ、ミニチュア・スコアを買い、それを見ながらフルトヴェングラー演奏を聴いてみてください。あたかも作曲者がフルトヴェングラーの演奏を聴いて写譜したような錯覚を覚えるほど、スコアに書かれていることに驚くほど忠実であります。その表現がドラマチック過ぎるので、スコアをどれだけ曲解しているのだろう、と誤解されるのは、不幸な間違いと言わざるを得ません。フルトヴェングラー演奏をスコアを見ながら科学的に分析して得られる技術の価値に比べれば、スコア代程度の経費など知れたものですよ。