フルトヴェングラーの
クッレッシェンド

写真:PIANO SALON CHRISTOPHORIにてリサイタル
フルトヴェングラーは、「だんだん速くなるテンポ」と「だんだん遅くなるテンポ」を駆使し、生き物のように変幻自在な音楽表現をしました。テンポだけではなく、凄まじいクッレッシェンドとディミニュエンド、もの柔らかな音の立ち上がりから筋骨隆々の激しい音の立ち上がりへの移り変わり、といったものも巧みに活用。その結果、記譜法の欠点とも言うべき直線直角的イメージとは対極に位置する、とても滑らかな流線型に設計された立体的な演奏が実現します。
ベートーヴェン作曲レオノーレ序曲第3番の演奏に、その例を見てまいりましょう。おしなべて古典派音楽の序曲は、ゆっくりした前半と速い後半から成り立っており、この作品の場合、Adagioで始まり、37小節目からAllegroとなっています。
フルトヴェングラーのAdagioは、恐ろしくゆっくりしたテンポで始まります。その演奏の風貌はあまりにも巨大かつ物憂げであり、それより速く演奏する理由はどこにも見当たりません。Adagio最後32小節目から5小節間、さらに遅くなっていきます。3連16分音符一つ一つに慎重に意味を込めるためとてもゆっくりなテンポですから、たった5小節間とはいえ実際にはものすごく長い時間と言わざるをえません。36小節目の3つの四分音符に至っては世界が完全に止まりきっているような印象すら受けますが、恐るべし、実はその前の3連符のテンポを完璧に正確にそのまま受け継いで、さらに遅くなり続けていきます。
さて、Hのフェルマータに続くAllegro、その1小節目は始まりではなく、見事にその前のAdagioの終始音として一体化されています。HからCへと解決し、気がついたら既に次のテーマが始まっていた、という筋書きです。ここに継ぎ目を作って新たな別の音楽にしてしまうのは、あまりにも幼稚。

写真:ベルリン自宅の窓から・秋
それにしても、世の中の他のどこにこれほど遅いAllegroが存在するでしょうか。それも、ほとんど聞こえないほどの極ピアニッシモ。フルトヴェングラー時代カラヤン時代に大活躍した首席オーボエ奏者カール・シュタインツは、「フルトヴェングラーのピアニッシモは、甚だしく神経をすり減らすことを強いられ、それはそれは嫌なものだった。」と言っていました。まさにこれのことでしょう。極ピアニッシモにおさえられたまま、しかし確実に意思を伴いながら細かく注意をはらうようにゆっくりと運ぶAllegro!
49小節目からのクッレッシェンドとともに、少しづつ加速します。クッレッシェンドの伸びしろが無くなってしまわないよう遅めにかけなさい、と音楽学校では教わりますけど、もう最初から全開、凄まじい灼熱のクッレッシェンドです。伸びしろを使い切ると、今度はメロディーの音の立ち上がりを徐々に早くして際立たせ、音の壮絶さというベクトルも使った立体的クッレッシェンドを表出。
クッレッシェンドと連動して、69小節目からのセンプレ・フォルティッシモまで加速、と常人は思うところですが、そうではありません。そこを突き抜けてはるか先101小節目まで、熱狂の加速がまだ延々と続きます。
あ、心拍数が上がってうっかり字数を超えてしまったっ!