音に明かりを灯す
音色の理想としまして、「音には明かりが灯っていて、照らし出していなくてはならない」と、ドイツではよく言われます。蝋燭の灯ほどからもう少し力強い明かりくらいまででしょうか。日本人が大好きな「明るい音、暗い音」とはまた違うベクトルで、日本ではあまり着目されないイメージですね。

写真:クリスマスの時期に飾られる
ヘアンフーター・シュテアン
「暖かい音」と「目覚めている音」を足して2で割ったような音色。たとえ音量がそれほど大きくなくても、聴き手の耳と心をすぐに惹きつけ、そして離しません。ピアニッシモの際にも、音が消えるまで明かりを絶やさずに灯らせていることが肝要です。
ドイツでは、1年のほぼ半分が冬を思わせる気候、緯度が高いのでその時期は昼間が短く、しかも毎日鉛色の雲が立ち込めている陰鬱な天気。日本晴れなど望むらくもありません。明かりに対する憧れも、気候風土背景による反動なのでありましょう。
この音色の便利なところは、音そのものに存在感と表現性がすでに内包されていることです。生きている音がすでにスタート地点ですから、少しヴィブラートでもかけて駆動すれば、無理矢理頑張らなくても素敵な歌になってくれます。
逆に、ガサガサと雑音を伴うのは、マット(matt「つや消しの」という意味)という形容詞を使い、忌み嫌われます。ドイツに来たばかりの頃、そんなベロアのブランケットみたいな音ではダメです、と先生から言われました。ブラックホールのように、灯るべき明かりも吸い込まれてしまっていたのかもしれません。
これは日本人にとってなかなか耳の痛い問題、といいますのも、日本語自体がもともと、残響が無い畳の部屋で、喉をせばめて常にザーーっといわせながら発声する言語だからです。また、控えめに話して以心伝心する文化ですから、声にいちいち明かりが灯っていては、厚かましくて不都合でありましょう。

写真:ミュールハウゼン・木組みの家々
夏休みを日本で過ごし耳も日本にどっぷり浸かった後、9月にドイツ人と一緒に演奏し始める最初の10分間、彼らの明かりが灯った音を聞きながら、耳の穴がぐいぐい開いていくのがわかります。これだ、忘れかけていた音、と。30年ドイツにいても、まだまだ習うことが多くあるのです。
「明かりが灯っている」と「ガサガサ」は反対の意味であることが多いようですけれども、20世紀後半に隆盛を極めた、フルート・メーカーのハンミッヒや、当時のベルリン・フィル首席フルート奏者カールハインツ・ツェラーに代表されるドイツ・フルートは、ガサガサしていながら明かりが灯っている、とても味わい深いものでした。あの時代はもう2度とやって来ない、とドイツ人は遠い目をして懐かしみます。