挫折
1973年に東京芸術大学大学院に入学し「減点されない歌」を到達点と考えて歌っていました。ところが、思わぬ挫折の日がやってきます。
1975年6月の民音コンクール(東京国際コンクール)第2位受賞の日です!その週の大学からの帰り道、上野公園の中で審査委員長だったH教授に会いました。生意気な私は、H教授の門下生が1位だったことを知りながら「私は、なぜ2位だったのですか?」と聞いたのです。先生は「君の歌には欠点はなかった」と、しかし「君の歌は、私の心に届くものが彼女より少なかった」と、、、。なんと、、減点されない歌は大学の中では点数を貰えましたが、外では通用しないことを知ったのです。今の歌では、一流の演奏家にはなれないのだと悟ったのです。
上野公園でH先生が仰ったことは、私の歌を大きく変えたと思います。
その日まで、自分のためにしか歌を歌って来なかったのです。お客様に喜んで頂くために歌おう!感情のままに歌い、破綻があってもいい!と思い始めたのです。
私は不器用です。しかし、不器用なことは、自分に授かったありがたい特性だと思っています。器用な人は、なんでも直ぐ出来てしまう!だから練習しない!それ以上は良くならない!!不器用だけど「伸びたいと思っている人間は、早い段階に「マズイ」ことに気づき、時間を掛けて練習し、器用な人に追いつき、追い越す!!不器用な人間の「獲得した器用さ」こそ、価値を持つと思っています。
26才でシューベルト作曲「冬の旅」全24曲の独唱会でデビューし、もう44年舞台に立っていますが、一度も楽譜を見て歌ったことはありませんし、オペラの公演でも、立稽古初日に楽譜を持って立ったことはありません。本番の1カ月前を、自分の暗譜の期限に設定しています。能力は低いので一日に8~10時間を使って、ただただ繰り返します。とても辛いです。でも、稽古初日には自信ありげな顔で芝居に参加しています。まだ舞台に立ち続ける覚悟です。【次号】は、「なにか」について書き始めましょう。
【14】の写真は、『フィガロの結婚』の医者・バルトロです。これまでに、伯爵、フィガロ、バルトロ、アントニオの4役を演じました。